長崎家庭裁判所 昭和37年(家)655号 審判 1962年8月15日
申立人 下田新吉(仮名)
事件本人 未成年者 金正彦こと下田正彦(仮名) 外一名
主文
未成年者下田正彦及び同下田文男の親権者を申立人と定める。
理由
第一本件申立の要旨
本件申立の要旨は、事件本人下田正彦は、日本人たる申立人が中華民国上海市において無国籍の女性金玉内と同棲中、同地で昭和二二年二月二五日に出生したものであり、事件本人下田文男は、申立人が戦後日本に引場げ長崎市において右金玉内と同棲中、同地で昭和二四年一二月一六日に出生したものであつて、いずれも無国籍人として外国人登録を受けているものである。申立人は、事件本人等の出生以来現在まで引き続き事件本人等を手もとで養育中であり、昭和三六年二月二八日に事件本人等をそれぞれ認知したので、申立人をその親権者に定めたいのであるが、協議すべき右金玉内はすでに昭和二七年一二月二一日に死亡し、協議をすることができないので右協議に代る審判を求めるため、本件申立に及んだというのである。
第二本件の事実関係
申立人の戸籍謄本、事件本人等の各外国人登録証明書、調査官佐藤謙治の調査報告書、申立人提出にかかる長崎地裁昭和三六年(ソ)第一号外国人登録法関係事件の過料決定に対する即時抗告事件の決定書の正本および申立人審問の結果を綜合すると
一、申立人は、大正五年五月二〇日鹿児島県において父下田定吉、母下田アヤ間に生れた日本人であること。
二、申立人は、昭和一五年一二月中華民国上海市において、同国の蘇州生れと称する女性金玉内(当一九年)と事実上の婚姻をし、引き続いて同市港湾路総華閣五六号で同棲したこと。
三、右同棲中の昭和一六年一二月二八日に下田良子、昭和二二年二月二五日に事件本人正彦がそれぞれ同地において生れたこと。
四、申立人は、昭和二二年一二月一二日に右金玉内、下田良子および事件本人正彦を伴つて中華民国から日本に引き揚げ、その後長崎市に住居を定めていること。
五、右同棲中の昭和二四年一二月一六日長崎市○町一三番地において事件本人文男が生れたこと。
六、申立人は、日本に引揚後、事件本人等を自己の戸籍に入籍させるべく奔走努力したが、右金玉内の国籍が不明のために事件本人等の国籍も明確とならず、いたずらに日時を空費していたところ結局中華民国駐長崎領事館からの公式の書面により、右金玉内は中華民国の国籍を有していないとの回答に接したため、やむなく昭和三六年一月五日に無国籍人として外国人登録を申請し、その旨の登録を受けるに至つたこと。
七、右金玉内は、結局、日本国籍を取得することなく、無国籍人のまま昭和二七年一二月二一日死亡したこと。
八、申立人は、事件本人等をその出生以来現在まで引き続き自己の手もとで養育してきたこと。
九、申立人は、昭和三六年二月二八日事件本人等をそれぞれ認知しその旨の届出をしたこと。
十、申立人は、現在、事件本人等について日本に帰化の手続を申請中であり、その手続を進めるためにも、事件本人等の法定代理人を定める必要があつて、本件申立に及んだものであること。
の各事実が認められる。
第三本件親権者指定の準拠法
よつて案ずるに、本件の親権者指定の準拠法は、法例第二〇条によつて、子に父がいる場合には父の本国法、父がいない場合には母の本国法による旨定められているところ、ここにいう「父」とはもとより法律上の父を意味し、事実上の父を含まないものと解すべきであるから、申立人が現在事件本人等の法律上の父たる資格を有するか否かについて、判断することにする。
そこで、まず申立人と事件本人等の間の嫡出親子関係の有無について考えるに、子の嫡出子であるか否かは子の出生当時の母の夫の本国法によつて定められる(法例第一七条前段)ところ、事件本人等の母は金玉内であり、またその夫(または夫にあたる者)は日本人たる申立人であることは前記認定のとおりであるから、事件本人等が申立人の嫡出子であるか否かは、結局、申立人の本国法、つまり日本の国内法によつて決定されることになる。そこで、申立人と金玉内の婚姻の効力について検討するに、婚姻の方式は婚姻挙行地の法律により定められる(法例第一三条第一項但書)ところ、右婚姻の挙行地は前記認定のとおり中華民国上海市であるから、右挙行時たる昭和一五年一二月頃同地域に施行されていたと認められる中華民国民法(民国一九年一二月二六日国府公布、同二〇年五月五日施行)によつて、右の方式が決定されることになる。ところで、同法第九八二条によれば、婚姻には公開の儀式および二人以上の証人のあることを要するところ、申立人と金玉内は、前記認定のとおり事実上の婚姻をし、その後同棲生活を続けていたことのほか、右のごとき公開の儀式および二人以上の証人のあつたことを認めるにたる証拠はないので、結局、右の婚姻は、法定の方式を履践しなかつたものと認めるほかはない。そして、このように法定の方式を具備しない婚姻の効力は、やはり右挙行地の法律により定められると解すべきであるから、右の婚姻は同法第九八八条第一号により無効であること明らかである。したがつて、事件本人はその出生時において申立人の嫡出子ではなかつたものというべく、またその後も申立人が金玉内と適式に婚姻したことを認めるにたる証拠はいなので、その余の点について判断するまでもなく、申立人と事件本人等の間には嫡出親子関係はないものといわなければならない。
そこで、つぎに、申立人と事件本人等の間の婚外父子関係の有無について考えるに、わが法例は認知について準拠法を定めるのみであるが、事柄の性質上、認知に関する法例第一八条の規定に準じ、その原因たる事実の発生した当時における当事者の本国法により決定されるべきものと解されるところ、本件においては、当事者の一方である申立人が前記のとおり日本人であり、その本国法である日本国民法は婚外父子関係の発生につき認知主義をとつているので、事件本人等の本国法について判断するまでもなく、認知の有無および効力についてのみ検討すればたりることになる。ところで、申立人が昭和三六年二月二八日事件本人等をそれぞれ認知していること前記認定のとおりであるから、右の認知の効力について検討するに認知の要件は、認知当時の当事者の本国法により定まる(法例第一八条第一項)ところ、申立人は前記のとおり認知当時も日本人であるからその本国法たる日本国民法により、また事件本人等は当時無国籍人として日本に住居を有すること前記認定のとおりであるから法例第二七条第二項によりその住所地法たる日本国民法により、右の認知の効力が決定されることになる(もつとも、事件本人文男は前記認定のとおり、無国籍人たる母金玉内と日本人たる申立人の婚外子として昭和二四年一二月一六日長崎市内で生れたものであるから、旧国籍法第四条により日本人であると解する余地はあるが、そのいずれであるにせよ、日本国民法がその準拠法となることには変わりはないので、ここでは外国人登録上の国籍に従うことにする。)とすれば、右の認知は有効であること明らかであるから、結局、申立人は右の認知により法律上事件本人等の父たる資格を取得したものといわなければならない。
以上の理由により、本件の親権者の指定は、法例第二〇条により父たる申立人の本国法である日本国民法により決定されるべきものと解するのが相当である。
第四本案の当否について
よつて、準拠法たる日本国民法により本件親子の法律関係をかえりみるに、前記のとおり、事件本人等は申立人と金玉内の婚外子であるから、金玉内の親権に服していたものというべく、そしてまた同女は、実父たる申立人が事件本人等を認知した昭和三六年二月二八日より以前の昭和二七年一二月二一日に死亡していたことは前記認定のとおりであるから、申立人の認知当時には、すでに事件本人等については後見が開始していたものといわなければならない。さて、このようにすでに後見が開始している場合に、親権者の指定が許されるか否かは日本国民法第八一九条第四項および第五項の規定の解釈上議論のわかれるところであるので、まず、この点について考えるに、日本国民法は、未成年者に父母がいる場合には、父母に親権の喪失、辞退等の特殊の事情のない限り、その婚姻の有無により、父母が共同または単独で親権を行なうものとし、父母の親権が行なわれ得ないときにはじめて後見が開始するとの建前をとつているのである。このことは、父母がいる場合には、父母が子を養育監護し、またはその財産を管理するのが自然の情にかない、事柄の性質上もふさわしいと認められるからにほかならず、この意味において、わが国における未成年後見の制度は親権の制度の補充的な機能を営むものと解すべきである。ところで、わが国では婚外父子関係の発生については、前記のとおり認知主義がとられているため、未成年者は、実父が認知により法律上父たる資格を取得するまでは母の親権に服するものとし、認知により父子関係が発生したときに、はじめて父母がその父たり、母たる資格に基づいて、そのいずれが親権を行なうべきかを定めることになつているのである。したがつて、この認知による親権者の指定の場合には、実父の認知当時、すでに親権者たる母が死亡し、したがつて後見が開始しているときでも、認知によりはじめてその資格の与えられた父親が親権者たる適格を有する限り、これを親権者に指定すること、つまり親権の復活を認めることがむしろ前記の法の建前にかなうものであり、また認知した実父の意思にも沿うものであるといわなければならない。
もつとも、日本国民法第八一九条第四項および第五項の規定によれば、婚外子につき父が認知した場合には、母との協議で親権者を父と定めることができ、協議が調わず、または不能なときには、家庭裁判所が協議に代わる審判をすることができる旨規定し、この親権者の指定について父母の協議の存在を前提としているので、同条の規定の文理解釈上、この協議をすべき当事者である母がすでに死亡しているときには、もはや父を親権者に指定する余地はないとの反論も考えられるのであるが、同条は協議の当事者たる父母が生存している通常の場合を予想して右のような表現をとつたにとどまり、当事者の一方である母の死亡後父が認知した場合に、これを排斥するほど強い意味をもつものではないと解する。
そこで、申立人が事件本人等の親権者として適格を有するか否かについて考えるに、申立人は事件本人等の出生以来現在まで、実父としての変わらぬ愛情をもつて事件本人等の養育監護に当つており特に上海から日本に引揚げてから後は、事件本人等を自己の戸籍に入籍させるべく並々ならぬ努力を続けてきたものであることは前記認定のとおりであつて、この事実に申立人の職業、性格および事件本人等との人間関係等をあわせ考えると、申立人は事件本人等の親権者としてまことにふさわしい者であるといわなければならない。
よつて、本件申立は理由があるから、これを相当として認容し、主文のとおり審判する。
(家事審判官 栗原平八郎)